6.4 レポートが論文になるまで――進化心理学は科学たりうるか
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主にこの領域の4つの問題に注目している
社会的ゲームにおける感情のシグナル
積極的、消極的な感情と価値表象の適応性
感情と意思決定過程の個人差
彼の研究から、感情の感受性と「感情シグナル」は特定の方式で意思決定に影響することがわかった 参加者はバーチャルな相手と78種類にものぼる二者間ゲーム(囚人のジレンマゲームや協力ゲームなど)を行うことができ、かつバーチャルな相手は、参加者のパフォーマンスに応じて自分の行動を調整し、特定の感情を表現することもできる 本文
1989年、ミシガン大学の大学院生のときに、大学院生だったブルース・エリスと出会う バスはヒトの配偶者選好に関する彼自身の進化心理学の研究について話した 私は、いわゆる配偶行動の研究には特に興味を持っていなかったが、心理学における適応主義的な思考の有用性に関するバスの一般的な主張は説得力のあるものだと思っていた 多くの学生は、バスの講義に強い怒りを感じていた
彼らはバスが「男性と女性は異なる認知過程をもっている」と強く主張したのだと感じた
多くの学生たちは、バスを「現代の人間行動の性差は、生物学的原理を援用することで説明できる」という危険な世界観を助長するような人物として見ていた
ヒトの感情について意味のある科学的な問いをどのように生成したらよいのか
大学院生のトレーニングを受けている時点での私の暫定的な結論は「もしそれが統計的に有意な結果を多くもたらすならば、その問いは意義深いものである」というもの
しかし、私の関心への満足な答えとは言い難い
バスの「配偶行動の心理を理解するのには、適応主義的志向が役立つ」と言う発表は、単に「感情はなんのために形作られたのか」と尋ねることが、感情研究者にとって強力な研究の問いになる可能性に気付かせてくれた
結局のところ、バスは、進化生物学者のジョージ・ウィリアムズが述べた非常にシンプルな主張をただ繰り返していただけだった 「ヒトの心が何の目的のためにデザインされたのかを知ることによって、われわれの心に対する理解が大幅に進むだろうと期待するのは、当然のことではないだろうか」
バスの批判者はたいてい間違っていて、一方、適応主義は心理学に有用だというバスの全体的な主張については、ほぼ正しい、と私は考えた
とてもおもしろいセミナーでのレポート課題
「アンチ進化」感情を知ったことには、まったく利益がなかったわけではない
善良な批判者による懸念に、合理的な答えを返す最初の機会を得ることができた
最後に、もし進化心理学が楽観主義と悲観主義を説明することができるならば、そのことは進化心理学について何を意味するか?
多くの院生たちは、もし進化心理学があらゆる事象とその反対の事象に対する説明を生み出すことができるのであれば、論理的な結論としてこのリサーチ・プログラムは、哲学的に疑わしく、また認識論的価値があるか疑わしいと論じた
まったくの偶然だが、通常であれば私の大学院の指導教官であったランディー・ラーセンが教えていた授業を、1988年はアプターが教えていた こうして私はイギリス的なゼミを受けた
そのゼミでアプターは、ネオ・ポパー反証主義学派によって生み出された、世間に蔓延する考え違いへの対抗手段として、ラカトシュの科学哲学を紹介した 「データと理論が一致しないなら、データにとってはお気の毒。そうでしょう?」
ラカトシュの主張の本質は、ポパー主義者とは異なり、リサーチ・プログラムはそれが進歩的か、退行的かという観点から評価されるべきものであり、単にそれが正しいか間違っているかで評価されるべきものではない、というもの
ラカトシュにとって、仮説や予測は支持されるか否か(反証も含む)という観点から適切に評価できるものだが、理論やリサーチ・プログラムは個々の仮説とは異なり、まったく異なる哲学的な道具を用いて評価されるべきものだった
これを踏まえて、私は二つのパートからなる答えを提出した
したがって、彼らの「ソクラテス式問答法の劣化版」はこのレポート課題には不適切だった
なぜなら、「楽観主義と悲観主義の両方を説明できるリサーチ・プログラムについて何を言うことができるか?」という問いに対する妥当な答えとして、「それは、その研究者がマーシャルとワートマンの最近の知見を知っているということを単に意味しているだけだ」と簡単に言い返すことが可能だったから
しかし、2つ目のパートで、私はエルスワースとスミスの設問の主眼は的を射たものだと認め、「あるリサーチ・プログラムがほぼすべての性質およびその反対の性質を説明できることについて何が言えるか」という問いへの回答に移った
私は、ラカトシュの洞察、つまり進化心理学のようなリサーチ・プログラムは、正しいか間違っているかという観点から判断されるものではなく、それがライバルのリサーチ・プログラムから期待されないような新しい事実を生み出すかどうか、また核となる仮定に多くの注意書きをつけずに例外を説明できるかどうか、を基準にして判断されるものである、と述べた
個々の命題や仮説を判断するとき、帰納的推論が誤用されやすく、その問題を克服するには反証主義が有用であるというポパーの主張を、ラカトシュはよく知っていた ラカトシュは、対立する現象について説明を提供する物理学のリサーチ・プログラムの例(光の理論における粒子―波動理論が古典的な例)や、初期には反対のデータが示されながらも生き残ったリサーチ・プログラムがあるという歴史的な証拠(例えば、ニュートンの理論が最初に出版されたまさに同じ年に、彼の理論を反証するように見えるデータが提出されたが、彼の理論の核となる論理ではなく、批判者の補助仮説が間違っていると示すことにより、彼の理論は反論を生き抜いた)を挙げている
ラカトシュによれば、進化心理学のようなリサーチ・プログラムを科学的に有用たらしめているものは、間違った命題を生み出さないことではなく、新しい事実を生み出したり、よく知られた例外を説明できたりすること、そしてライバルとなるリサーチ・プログラムよりもこれらのことを巧みに成し遂げられること
バスは、配偶行動の進化心理学の講義の中で、いくつかの新しい事実(男性と女性の配偶者選好における文化間の共通点と相違点を詳述)を示していた
この理論的なモデルは、男性と女性がしばしば短期的・長期的な配偶者選好に用いる変則的なダブル・スタンダード(例えば、男性は性的関係を持とうとする相手の乱交的傾向を、是認することも否認することもあるように見える)を説明することのできるものだった 私はレポートでAをもらったが、それで終わりにはしなかった
それから私は進化心理学の核となる論理を詳説する理論論文を書くという、いささか理想主義的な試みを始めた
当時私は、そのような論文、つまり進化心理学者達によって使われている重要な概念やメタファーを総括するような論文を書く資格が自分にないことに気づいていなかった
その論文を二つのパートに分けることに決めた
パート1では、喫緊の科学哲学の問い、「進化心理学は妥当な科学的リサーチ・プログラムか」を扱うことにした
パート2では、進化心理学者によって採用された重要な概念やメタファーの使い方を説明しようとした
ジェフリー・ミラーは、ヒトの情報処理に関する大量の文献をうまく要約していただけでなく、問題(認知心理学における機能の不可知論)とその問題に対する妥当な解――すなわち、進化生物学の適応主義から得た見識を認知心理学に応用する――を提示するという、素晴らしい仕事をやり遂げていた しかし、私は科学哲学をよく知ってはいたが、進化心理学に関しては驚くほど知らず、また進化生物学に関してはそれ以上に知識不足だと気づいた
私は、ブルースにその論文の共著者になってはくれないかと頼んだ
ブルースは私の申し出を引き受けてくれた
私たちは論文のアウトラインを書くことから始めた
まず、「進化心理学はそれ自身では反証可能な仮説を生み出さないゆえに、進化心理学というリサーチ・プログラムは非科学的である」というよくある指摘に焦点を当てた、パート1の要約を書く
ブルースと私は、この主張が間違っていることを知っていた
私たち2人とも、膨大な量の反証可能な進化心理学の仮説の例を引き合いに出すことができたから
しかし私たちは、進化心理学がどのように反証可能な仮説を生み出すことができ、また生み出してきたか、それを示す反例を並べるよりも、どのように妥当な科学的リサーチ・プログラムが機能しているかということを明確化するという、より有益な課題を中心に据えることにした
もし科学哲学者たちが科学的なリサーチ・プログラムを評価するのに用いてきた最も重要な基準を説明することができたなら、私たちはこの分析を進化心理学に応用することができ、そしてそうすることにより、進化心理学が科学的に進歩的なリサーチ・プログラムの特性を持っている証拠を示すことができるだろう、というアイデア
その論文の最終稿があがるまでには5年以上の歳月を要した
ブルースと私は異なる場所でポスドクを始めていた